【弦外有音:001】                         一四・三・念五

現代京劇《華子良》  ――周回遅れの大、大、大駄作・・・ああ、ツマらん

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1960年代、毛沢東思想の虜になった日本の若者にとって一種の必読小説と大いに持てはやされた『紅岩』を種本とした現代京劇。毛沢東思想に憧れていた半世紀ほど昔の大学生当時、この全30巻の超長編小説を必死に読んだ記憶が、いま鮮やかに蘇える。

DVDのパッケージには「『紅岩』の英雄を讃嘆し、民族精神を鍛造する。新編現代京劇 文武老生の名優・王平の力演。巧妙な筋運び。感動の唱と立ち回り。京劇の醍醐味が満載」と華麗な文字が躍るが、正直なところ看板に偽りあり。香港で購入のDVDで、値段は然程に高かったわけではないが、やはりカネ返せと強くいいたいところだ。

「巧妙な筋運び」というが、じつにモタモタした展開で呆れるばかり。王平は主役で狂人を装っている古参・筋金入り共産党員の華子良を演じているが、「力演」どころか、やはりミスキャスト。彼本来の文武老生の芸が少しも生かされず、化粧、衣装、嗓子(のど)から立ち居振る舞いを含め、華子良の狂人ぶりがリアル(迫真の演技!?)に過ぎて、些か戸惑いを覚える。いや失礼ながら、時に嫌悪感を抱いてしまう。これでは「民族精神を鍛造する」ことなど覚束ないのではなかろうか。

華子良の夫人で共産党ゲリラ指導者の双槍老太婆だが、これまたイタダケナイ。アバズレ度が高く、勇ましいのか艶めかしいのかハッキリしない。獄舎に繋がれ過酷な拷問に呻吟する共産党員だが、余りの健康青年ぶりが目立ち、どうみても静かに反逆・復仇の炎を燃やす不屈の闘士には思えない。龍套のような役回りで黒ずくめの国民党兵士が多数登場するが、無機質な演技を強調するあまり、筋運びから浮き上がってしまっている。もう少しスッキリとした演出ができないものだろうか。

2001年1月の初演ということだが、経済成長路線を驀進している時代に、共産党員の不撓不屈の闘いぶりを舞台に描き出したとして、いったい「民族精神を鍛造する」ことが可能なのか。大いに疑問だ。

現代の2文字を取り払ったとしても、《華子良》は京劇としては駄作の部類に入るだろう。文革を飾った革命現代京劇には古典京劇を遥かに凌ぐ高度な演出技法、手に汗握るストーリー展開、なによりも鍛えられた芸を持つ役者の五体が生み出す躍動美が溢れていたが、それが《華子良》には微塵も感じられない。人間の習性として、バカを装っていると本当のバカになってしまうそうだが、こんな京劇を見せられていては、京劇嫌いを増殖させてしまうだけだ。即刻、舞台上から退場してもらいた。

100点満点で評価するなら、マイナス点を付けたいところだが、ご祝儀相場でせいぜい15点といったところか。

基本情報:DVD:広州俏佳人文化伝播有限公司発行/編劇:衛中、趙大民/導演:謝平安/主演:華子良(王平)、双槍老太婆(鄭子茹)、斉暁軒(楊乃彭)、成崗(鄧沐瑋)

 

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ところで種本となった小説『紅岩』だが、その粗筋を記しておくと、

時は1948年、国共内戦で敗色濃い蔣介石政権は日中戦争時に臨時首都と定めた重慶で共産党員狩りを進めた。重慶の共産党指導者の許雲峰と江雪琴は、仲間の裏切りから逮捕され、重慶送りの果てに拷問される。だが口を割らないばかりか、脱獄計画を立てる。

翌年、長江を渡河し南下した解放軍は南京の国民党中枢を占領し、転じて四川に進軍した。恐怖に駆られた国民党は獄中の共産党員の処分を進める。そこで獄内の党組織は脱獄計画に関し獄外の地下組織と連絡とろうと画策するのだが、よい方法がみつからない。そこで登場したのが、党の指示で狂人を装いながら15年も獄中生活を続けていた華子良であった。

彼が獄外の党組織との連絡に成功したその時、中華人民共和国建国のニュースが飛び込んでくる。許雲蜂は全力をあげて獄舎の壁を掘り続ける。解放の砲声が轟く。脱獄の合図だった。獄舎から解き放たれた共産党員たち。そこに駆けつける人民解放軍の先遣部隊。無数の赤旗が打ち振られ、歓喜が爆発し、勝利のどよめきの中を人民は共産党を讃えつつ前進する。

 

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まあ、どうということのない中国共産党式勧善懲悪ストーリーであり、文芸は革命に奉仕すべきものであるという毛沢東の文芸思想そのままの小説だが、DVDのパッケージでは現代京劇《華子良》の粗筋は次のように紹介されている。

1949年10月、中華人民共和国が成立した。山々に囲まれた都市である重慶は深い霧に包まれていた。白公館に留置されていた革命志士は、夜明け前の暗黒の中に在った。敵が「事前に秘密裏に処理せよ」との皆殺し計画を発令したことから、江姐(江雪琴)と許雲峰は前後して処刑され、監獄の内と外との連絡は途絶されて極めて危険な情況にあった。朝から晩までザクロの木の周りを走り続ける”狂人”の華子良は、党に忠誠を誓い、屈辱に耐え、重責を担い、断固として挫けることのない共産党員だった。党の地下組織の指導の下、彼は痴呆を装い、敵の国民党と大胆で勇敢な戦いを展開し、ついには党の地下組織が進めた脱獄計画を成功に導いたのである。

つまり、15年もの間狂人を装って監獄に留まった華子良を正面人物として浮かび上がらせようというのが、現代京劇《華子良》の狙い、ということになる。

ここにみえる白公館とは、四川軍閥の白駒が1930年代に愛人のために重慶郊外に建設した別荘。後に国民党特務機関の軍統局が管轄し、重要政治犯を収容して軍統局重慶看守所と呼ばれた。43年に国民党政府とアメリカの合作による特務機関として中美合作所が発足するに伴い、白公館は中美合作所第三招待所と名称を変え、主にアメリカ人関係者住居として利用された。第二次大戦終結前後、再び政治犯収容所となったが、悪名高い渣滓洞収容所と合体し、白公館看守所として再発足。後に名称を国民政府保密局収容所と改めた。

蔣介石率いる国民政府の残虐さと、共産党員の不撓不屈さの象徴として、現在では愛国教育施設として開放され、観光地となっている。

数年前、この地を訪れたことがある。折から中国版のゴールデン・ウイークだったこともあって、多くの観光客が押し寄せていた。鬱蒼とした木々の繁る小山の内懐に抱かれるように立つ建物は、外部からは内部が伺えそうにない。だが、さすがに軍閥の妾宅だっただけあって入り口は小洒落た佇まいだ。茶色がかった黄色の門を潜ると、様相は一変する。展示されている数々の拷問道具や薄暗く水滴の落ちる水牢を覗くと、どこからか拷問に苦しむ共産党員のうめき声が聞こえてくるようで、ゾクゾクッと背筋が寒くなる。

白公館の近くには、文革の武闘で犠牲になった紅衛兵が集団で葬られている共同墓地がある。いずれにせよ、白公館の一帯は中国現代史―-国民党と共産党の暗部を象徴しているといっていいだろう。

 

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以下は蛇足だが、中国人の行動様式を象徴するエピソードと思うので敢えて紹介しておく。

 

1965年春、北京京劇団の一行が中美合作所渣滓洞収容所を訪れた。党上層部からの「小説『紅岩』を種本に京劇を創作せよ」との厳命を受け、実地体験に乗り込んだというわけだ。

目的地に着くや、役者たちには囚人番号が割り振られ、ボロボロの実物の囚人服が与えられた。手足にはズッシリと重い手枷・足枷。実物の牢獄に案内され、過酷な拷問の果てに死んでいった先人の怨念が籠る獄舎に入れられた。「ガチャ―ンとカギを掛けられた時には生きた心地がしなかった。情けなくて、涙が溢れた」と、ある女優は回想する。

「第何号、取り調べだ」。兵士の銃に急き立てられるように廊下へ。重い足枷に足を取られヨタヨタすると、すかさず兵士は大声で怒鳴りあげ銃座で小突く。取調室の壁にビッシリと各種の責め具。壁の上部に麗々しく飾られた蔣介石の肖像写真。国民党政治の暗黒時代をありのままに再現しようというのだろうが、文革直前の中国で、毛沢東の写真なら当然だが、蔣介石の肖像写真を、しかも正々堂々と掲げられた場所は、おそらくこの施設だけだったろう。

「第何号」と呼ばれたのは京劇名門の譚家の4代目当主で、革命現代京劇の《沙家濱》で主役の指導員を演じた譚元寿。彼は、おずおずと椅子に腰かける。小説『紅岩』の作者が扮した取り調べ官が冷たく、「名前と職業?」。譚元寿が仮の名前を告げてから、「労働者です。親戚を頼って仕事探しで重慶へ」と供述すると、机がドンと叩かれ、一段と大きな怒声が響く。「ウソをいうな。キサマは共産党から送り込まれた京劇役者だ。父親は名優の譚富英・・・」。なにやら虚実入り乱れた絵空事の世界のようであり、現実のようであり。

「ところで、アイツを知ってるな」と、部屋の隅を指さす。

そこには、左足と左手の親指、右足と右手の親指を固く縛られ、長い木製の机の上で前屈姿勢を取らされている役者仲間がいた。机に固く縛られた膝の上に、横棒が差し込まれ、それにレンガがぶら下げられている。自供しない譚元寿に対し、取り調べ官は同じように前屈姿勢を命じた。レンガの数が増す毎に、重さを増す。重みと痛みに耐えられず失神すると、取り調べ官の1人が譚元寿の瞼をこじ開け、ライターの火で本当に失神したかどうかを確かめる。

仲間のある役者が手枷・足枷のまま獄舎の外の暗闇に引きずられて行く。緊張に包まれた獄舎から革命歌のインターナショナルの歌声が起こる。獄舎にこだまする「反動派を打倒せよ」の絶叫をジープの音がかき消す。しばらくすると、遥か遠くの暗闇の彼方から、ダ、ダーンと銃声・・・銃殺。もちろん形だけ、だが。

迫真の演技を身につけるための稽古の一環ということだろうが、いまは死語となってしまった社会主義クソ・リアリズム演技論からしても、やはり異様な稽古だ。いや、敢えているなら飛びっきりの哀しいまでの喜劇だ。

こんなことがあった翌(1966)年、中国は文化大革命に突入する。かくして多くの京劇役者は文革という疾風怒濤の荒波の中で「你死我活(生きるか死ぬか)」の闘争を強いられることになる。

それにしても、である。迫真の演技を身につけるためにとはいえ、そこまで過酷な稽古を求める演劇理論があるのだろうか。そんな芝居が、世界のどこで演じられているのだろうか。京劇役者の運命は過酷だ。やはり半端なことでは、務まりそうにない。(001:劇終)

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